本日の記事は「いじめ」をテーマにしております。
あくまでもケースバイケースかもしれませんが…
ボクの考えとして、「小さいものを含めれば誰もが直面する身近な問題なのかな~??」と思っています。
…というのも、自身の過去を振り返ってみても「被害者(?)としての経験」、そして「加害者(?)としての経験」もあるように感じているからです…(。-∀-)
まずは「被害者(?)としての経験」について振り返ります。
被害者(?)の経験
ボクは幸運に恵まれました。
平成元年(西暦1989年)、男兄弟の次男として生まれて警察官である父の宿舎で育ちます。
宿舎の家族はみんな父の知り合い。
家の外に一歩出れば、知り合いの子供たちが走り回っている環境です。
その頃…
ボクの誕生と時を同じくして平成最初の大発明が誕生します。
それは、スーパーファミコン
子供達のPCリテラシーに大きく貢献した一方、ゲーム依存という新たな問題を広めました。
幸運に恵まれたボクは、この大発明がもたらしたテレビゲームの潮流に飲み込まれることなく、健康的な幼少期を過ごすことができたように思います。
しかし、今から振り返ってみると
この幸運こそが後々のトラブルを引き起こす要因だったのかもしれません。
小学生時代(低学年)
テレビゲームの潮流から逃れたボク。
いつの間にか、スポーツが得意になっていました(+o+)
小学生の男子にとって、スポーツの良し悪しは人気のバロメーター
この頃のボクは人間関係で悩んだ記憶がほとんどありません。
充実した生活…という感覚はなく、それがフツーだと勘違いしていました。
運動能力に恵まれていて、友達に囲まれる生活があたり前という勘違い。
日々の努力を怠り、凄~~く嫌な奴になってしまった…のかもしれません(._.)
小学生時代(高学年)
人生、楽あれば苦あり
楽しいことの後には必ず苦労が訪れる。良いことばかりは続かない。
幸運を才能と勘違いしたおバカなボク(*_*)
「努力の怠り」というツケが少しずつ積みあがっていました。
こういった異変は自身が一早く気がつきます。
昼休み、体育の授業、運動会、持久走
どんな小さなことでも負けられない状況がだんだん苦しくなっていきました。
幸か不幸か、集団の中での評価は鈍感でした。
ちょっとやそっと負けることがあっても、「アイツはスポーツが得意」という評価はなかなか変わらないようです。
しかし、小学校5年生の夏、トリガーとなる事件が!
それは当時所属していた少年野球チームを辞めてしまったこと。
表向きの理由は「塾に入るから~」…とか言ってた気がしますが、レギュラーから外される前に逃走しただけでした。
これをきっかけに、状況が一変します。
(自分はスポーツを習っているわけじゃないから、勝てなくて当然)
プライドで支えていた一線が、ガラガラ〜〜と崩れました。
こうして出来上がった「ただの嫌な奴」…Σ(゚Д゚)!?
きっとこれが、一人ぼっちになってしまった経緯です。
その後…
やはり…
幸か不幸か、集団の中での評価は鈍感でした。
一度貼られてしまったレッテルは、中々張り替えることができません。
そして、人は悲しい生き物です。
ポジティブな声よりもネガティブな声の方が強く響きます。
なので、
一度集団から外れてしまうと同じ集団の中で立て直すことがなかなかできません。
結果として、中学に進学するまでの間、一人ぼっち…(^-^;
反省したこと
● 有利な環境は成長できない
人は厳しい立場に置かれるからこそ、現状を変えようと努力します。
「クラスで一番足が遅いから、運動会で恥をかかないようにしっかり練習しよう!」といった具合です。
そういった動機づけのない立場は、実力が伸びにくい環境ということなんですね。
● 実力以上の評価に固執してはダメ
集団の中の評価は鈍感なので、上手く取り繕えば、しばらくの間は延命できるかもしれません。
…ですが、個々としては実力が伴わないことがバレているので、反感の火を灯すこととなります(^^;;
さっさと自分の弱さを認めしまえば、ここまで嫌われることにはならなかったかもしれません。
学びの機会だった
(二度と経験したくありませんが)ボクの場合は人間関係についてじっくり考えるいい機会でした。
あのまま嫌な奴として、中学生、高校生になっていたら、もっと激しいいじめに発展していたかもしれません。
小学生のうちに学ぶ機会に恵まれて、やっぱりボクは幸運でした。
まとめ
いじめについて、ボクなりの考え
- 誰もが直面する身近な問題
- 一度嫌われてしまうと立て直しが難しい
- 大切な学びの機会でもある
今回は自分の経験の中で一番大きな「被害者(?)としての経験」を書きました。小さいトラブルはたくさんあります(>_<)
やはりケースバイケースかもしれませんが…まずは見守ることが正解のように思います…
Comment