トラウマを乗り越えた経験

思い出

おはようございます。

気が付けばブログの立ち上げから1週間が経過しました!
ブログの更新にもずいぶん慣れてきた気がします(*^^)v

本日は、ゆとり世代の思い出に関する記事です。
過去のトラウマを乗り越えた経験についてお話ししたいと思います。

偽りの名声

小学生の頃、少年野球チームに所属していました。

なぜ野球チームに所属したのか、正直あまり記憶に残っていません。おそらく、特別野球が好きだったわけもなく3歳離れた兄の影響でなんとなく所属することになったのだと思います。

スポーツは次男の方が有利といいますが、その言葉の通り、兄の影響で早くから野球を始めた筆者はたいした努力もせずにレギュラーの座を獲得することになります。

ポジションはファースト兼キャッチャー。打順もクリーンアップ。周りからは一目置かれ、その状況が当たり前だと思っていました。

しかし、小学校高学年になる頃には、だんだんとそのアベレージが薄れレギュラーの座が危うくなります。

もちろん、自分の能力と周りの期待に乖離が生じ始めていることは、自分自身がよくわかっていました。ですが、何の努力もせずに手に入れた名声が脅かされると、「周りの期待に応えるために努力をする」という当たり前の考えに行きつくことができませんでした。

そして、レギュラーから外されるという屈辱が現実になる前にチームから逃げ出すことを選択します。別の理由を装って。

この決断によって負け犬根性が根好き、自信を喪失することになりました。
結果として、勉強、スポーツ、そして人間関係においても、負のターニングポイントになってしまったと思います。

部活動と流行

中学・高校の部活動には流行があります。

例えば、週刊少年ジャンプで連載されたバスケットボール漫画「SLAM DUNK(連載:1990年~1996年)」を見て育った世代をスラダン世代といい、バスケットブームが巻き起こりました。当時マイナースポーツだったバスケ部への入部が殺到したそうです。

その上の世代には、サッカー漫画「キャプテン翼(連載:1981年~1988年)」を見て育ったキャプ翼世代というものもあったそうです。

では、これに当てはめると「ゆとり世代」は何世代でしょう?

 

正解は…「テニスの王子様(連載:1999年~2008年)に由来する「テニプリ世代」です。筆者の中学では通常5~10名入部するとされているテニス部に、30名を超える部員が殺到しました。

少年野球チームを離れて行き場のなかった筆者もそのうちの一人となり、高校進学後もテニス部を選びました

公立高校の意地

テニスという競技は、ヨーロッパの貴族が優雅に楽しんでいるイメージがありますよね。
そのイメージのとおり、お金のかかるスポーツです。

ボール一つとってみても、ちょっと空気圧が下がるだけでボールのバウンドが微妙に変わってしまうので、フォームが乱れないよう頻繁にボール交換を行う必要があります。ラケット、シューズ、コートの整備についても細心の注意を払わなければ、練習自体が無駄になってしまいます。むしろ下手になります。

そうゆうわけで、公立高校よりも私立高校のほうが圧倒的に有利なのです。

公立高校に進学してテニス部で出会った顧問の先生は、その常識を打ち崩すことを生き甲斐にする鬼顧問、いや名顧問でした(笑)。「圧倒的に不利な公立高校でインターハイ選手を育てたい」。その言葉の通り、自身が学生時代インターハイに出場した経験をもとに、公立高校から数多くのインターハイ選手を輩出しています。

案の定、そんな顧問の練習メニューは、週刊少年ジャンプに出てきそうな地獄のスパルタでした^^; 中学と同様テニプリブームで大量に入部したテニス部の部員は、その大半が辞めていきます

テニス部に限りませんが、公立高校には先生のローテーションがあるので部活熱心な顧問がいる高校に入学しても入れ違いで赴任してしまうかもしれませんし、そもそも部活動推薦枠が存在しません。なので、スパルタを耐え抜いてでもインターハイに出たいと思う生徒が少ないのです。

筆者だって、何となくテニスを続けていただけでした。強豪校に入って、インターハイを目指したいなんてこれっぽっちも考えていなかったのです。その鬼…名顧問は筆者が高校に進学するとともに赴任してきた先生だったので…

ですが、毎日の厳しい練習で追い込まれるたびに、試合に負けて悔しい思いをするたびに、少年野球チームでの大失敗が頭をよぎます。どうすれば最後まで食らいつくことができるか、必死に考えました。もう二度とあんな惨めな思いをしたくなかったのです。

そして、筆者は地獄のスパルタをどうにか潜り抜けレギュラーメンバーとして最後の試合に望みました。…が、インターハイには遠く及ばず敗北しました(^^;

結果は残念ですが、やっと過去の失敗を乗り越えて新たな第一歩を踏み出すことができた、気がしました。これがブラック企業を脱却するための「わるあがき」のルーツになったんだと思います。

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