みなさんは学生時代、大嫌いな『科目』はありましたか?
それは「国語」ですか?「数学」ですか?
それとも「体育」ですか?
ボクが大嫌いだった科目は「英語」です。
「才能がないから頑張ったって時間の無駄」
ボクは早々と苦手科目の克服を諦めて、逃げることを選択しました。
しかし…
ビジネスパーソンとして現代社会を生き抜く上で、英語力「0」は致命的
就活の失敗とブラック企業の地獄を経験して、英語と向き合うことを決心します。
それから、試行錯誤の5年間。
ボクは極度の英語アレルギーを脱しました。
まだまだペラペラの域には程遠いですが、英語を必要とする仕事を任されるようになり、更なる高みを目指しています。
毎日コツコツ勉強を続ければ、極度の英語アレルギーを克服できる!!!
そんな経験談を聞いてください。
英語アレルギーの発症
グローバル化が進むとともに、ますます英語の重要性が高まる現代
2020年の教育改革により、小学校3年生から「外国語活動」、小学5年生から「外国語」の授業が導入されました。
一方、ボクの世代(平成元年生まれ)では、中学1年から「英語」の授業が始まるカリキュラム
そんな時代のお話です。
1stコンタクト
33歳になった今でも、
はっきりと覚えていることがあります。
それは、、、
中学に上がると同時に、必死で「英語」の勉強をスタートしたということ。
ボクには3つ歳の離れた兄がいて、
英語嫌いの彼が散々苦労している姿を目の当たりにしていたのです。
(絶対に英語嫌いになりたくない)
そう、心に誓っていました。
Apple(りんご)…Orange(オレンジ)…Book(本)…
授業で新しく出てきた単語を欠かさず暗記
もともと暗記が得意ではなかったので、和訳、発音、スペル、を同時に覚えていくことがとても大変(°_°)
それでも、ちょっとだけ大人になれた気がして、充実感のようなものを感じていたように記憶しています。
最初は、英語の勉強が楽しかった。
しかし、2、3ヶ月が経過すると、風向きが変わってきます。
きっかけは、ペアを作って行う会話の練習
渡されたプリントを “ただ読み上げる” だけ。
そんな簡単なことが…何故かできませんでした
う~~~ん….
誰もフォローできず……(失笑)
まるで超絶音痴な人のカラオケのようでした。
そして、
ペアを作った友達との気まずい時間を何度も経験しているうちに、こう思うようになります。
(相手に悪い…)
ボクは、練習をしているフリをして隅っこでサボる機会が増えてきました。
これが負のスパイラルの始まりです。
もう一つの不運
ボクにとって、もう一つ不運だったことは、中学時代の英語教師が優秀すぎたこと
はじめまして。
私の名前はMiss 高橋(仮名)デース
この外国人のような日本語を話す若い女性は生まれも育ちも日本人
日本の英語教育に革命をもたらすべく、長期の海外留学から帰国してきたばかりでした。
ミスマッチ
彼女の授業は「座学」を最小限に削り、「アウトプット」を中心とした新しい勉強法
まずは楽しくおしゃべりをしているうちに、基本的な英語力を高めていく。
そらから、座学で受験のための英語力を補強していく。
そんな考えだったんだと思います。
…しかし、
英語センス「0」のボクにはミスマッチ
この状況は、「スキーの教え方」で例えるとわかりやすいです。
運動神経のいい人なら、いきなりリフトで上まで連れていき「とりあえず滑ってみて」という教え方で十分
下まで降りてくる頃には一通り滑れるようになっているはずです。
しかし、運動神経の悪い人にこの教え方をしたらどうなるでしょうか?
ボロボロに転んで、スキーのことが嫌いになってしまいます。
英語の授業で体がボロボロになることはありませんが、自尊心がボロボロになりました。
英語の才に恵まれ、教師経験も浅い彼女は、その気持ちがわかりません。
授業でサボっているボクのことを何度も職員室に呼び、「努力が足りない」と訴え続けました。
(自分には英語の才能がないからいくら勉強をして無駄)
これが英語アレルギーを発症してしまった経緯です。
余談
ちょっとだけ余談
高校・大学の授業を経験した今になって振り返れば、彼女が極めて優秀な英語教師だったことがわかります。
座学以外のアプローチはもちろん、(日本語が訛るほど)綺麗な発音、海外生活の雑学、そして高い教育理念は突出していました。
ド田舎の公立中学で彼女と出会えたことは、”本当は”超幸運な出来事です。
英語からの逃亡生活
その後、
ボクは幸運にも恵まれ、そこそこ有名な大学に合格することができました。
勝因は、英語の試験がない大学に絞り込んだこと
「英語」は大学受験で最も重要な科目とされていますが、一部の私立理系大学では英語以外の科目で受験できるものがありました。
英語の勉強を放棄していたボクは、早々に英語以外で合格できる大学にフォーカス
これが功を奏して、すんなりと大学受験を突破することができました。
英語から目を背けたままでも、そこそこ有名な大学に合格することは可能です。
…しかし、
そんなボクが母校となる大学を選んだ理由は、“ただ”英語以外で勝負できるから。
英語から逃げた時点で、選択肢がほとんどなくなりました。
初めてのTOEIC
そんな経緯があってからの大学生活。
入学直後に受けた、
いや、強制的に受けさせられたTOEICで衝撃のスコアを叩き出します。
230点
※ TOEICの満点は990点
TOEICは四択問題なので、全てテキトウに回答しても…単純計算248点
ということは…実質0点
それでもボクは幸運でした。
英語の授業は大学1年の「一単位」のみ。
進級の条件としてTOEICスコアが求められることもなく、ぬらりくらりと大学を卒業します。
そして、就職活動
英語から目を背けていることが、就活にどう影響するか…?
まず、超大手企業や外資系企業では、募集要項に「TOEIC 700点以上」、「TOEIC 600点以上」…という条件があったりして、エントリーすらできなかったりします。
エントリーできたとしても、資格の欄にTOEICのスコアが書かれていないとTOEIC500点未満ということがバレます。
さらにSPI(総合適性検査)を導入している会社も多く、詳細な英語力が筒抜けに…
これがどう合否に影響したかはわかりません。
結果として、ボクは就活に失敗
ブラック企業へ落ちていきました。
ブラック企業から脱獄
2015年2月(当時25歳)
ボクは、やっとの思いででブラック企業を抜け出し、小さなベンチャー企業に就職しました。
優しい上司に囲まれ、
明るい時間帯に退社できる生活
平均以上の給与、手厚い福利厚生
そこは楽園(パラダイス)!?
…いや、、、残念ながら違いました。
例えるなら、
東京というカラッカラの砂漠にポツッと浮かぶ、小さな小さなオアシス
仏のような社長が、大赤字を垂れ流しながらどうにかオアシスを維持していました。
しかし、、、それも風前の灯
自分を拾ってもらった恩返しをするためにも、
そして、自分自身が生き延びるためにも
ボクは英語と向き合うことを決意します。
オアシスが枯渇する前に、、、砂漠で生き抜く力を身につける!
TOEICスコアの推移
こちらはTOEICスコアの推移
勉強開始(2015年)から5年間の月日を経て、
ボクは「690点」まで到達することができました٩(๑>∀<๑)۶
勉強法は至ってシンプル
洋画や洋楽でもなく、
音で聞き流す教材でもなく、
SNSやyoutubeでもなく、
オンライン英会話でもありません。
1日30分(TOEIC前だけ60分)
本屋さんで購入した教材を毎日毎日コツコツコツコツ解き続けました。
5年という期間は決して短い期間ではありません。
「690点」というスコアも、自慢できるようなものではありません。
ですが、
英語センス「0」のボクでも、
社会人になってからでも、
コツコツ努力を積み重ねれば英語アレルギーを克服できる!
最後に
残酷なことに、
人には生まれながらの才能があります。
短所を改善しようとする努力が決して無駄なものとはいいませんが、
時には、捨てる勇気を持つ必要があります。
長所を活かして働けばいいのです。
しかしもう一つ、残酷な真実があります。
才能に恵まれなかったとしても、捨てることで大きなハンディキャップを背負ってしまうものがあります。
その代表例が「英語」
現代社会で「英語」から目を背けることは、多くの選択肢を失うことになります。
でも一つだけ、わかったことがあります。
英語センス「0」のボクでも、
社会人になってからでも、
毎日少しの時間を割くことができれば、人並み以上の英語力を身につける
ということ。
あなたはどうですか?
英語センス「0」のガチャを引き当てて、英語から目を背けていませんか?
もしそうなら、ボクの勉強法を試してください。
このブログでは、ボクが実践した勉強法を紹介していきます。
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